3月3日(金)晴れ
8:20 キャンプ場ベンチ
テント片しながら哲学していた。ミゲルの待っとるけん早よ行かんばってのに。
ふと思った。俺は俺が望んだ旅をできているのか。いや、今更すぎる。できてるだろ。ウシュアイアでビデオに収めた通り、俺は俺の旅をしている。
ただ一つ。この旅を、世界を走るという夢を抱いた時に想像していた自分の姿とは同じかどうか。
たぶん大き違う。どこでどう変わったのか。それを考えていた。
高橋さん達に出会わず、コロナもなく、2021年4月に出発していたら俺は今とは全く別人の俺で旅をしていて、当たり前だがそのことに何の疑いも持たずに、2023年の丁度今頃に日本に帰って来ていたことだろう。
福山のアニキの歌の一節が浮かぶ。
「あの日描いた夢は ちょっと違うけれど」
なるほど、歳を取ってまたこの曲が一段と沁みる。本当の意味で理解できるのはまだ先だろうが。
「だって心はもうわかってる 自分らしくってこと 素直に生きること」
「ただそれだけでいいはずなのに、それが一番難しい生き方なんて無情」
全くだ。なんと無情なことか。
当初五大陸を2年半走って夢を叶える旅は、三大陸を1年走って呪いを終わらせる旅に変わった。他に欲しいもの、優先したいと思えることができたからだ。自分の家庭が欲しいと思ったからだ。
それを自分の生き方として口に出すことは俺にとっては難しくはなかったが、まあ、フツーは大変だと思う。良くも悪くも俺が良い加減な性格だからそれを自分で認めることができただけだ。
だって、他人からしたらそんな生き方の舵取りの変化は、今の自分を正当化するための耳障りの良い言い訳でしかないだろうから。
たぶん、今までにも俺のように考えが大きく変わってしまった旅人、いや旅だけでなくどこの世界にもいて、それを自身ないし信頼する人達から認められる者認められない者たくさんいたのだと思う。
俺がその自身の変化を認められたのは、うん、やっぱりこの4年間で出会った人たち、家族や友人たちとの時間があったからだろうな。
フワフワした理想を語って気持ちよくなるのではなく、自らの人生で得た一つの答えとして自信を持って言えるのは、その人達の人生の一節を見てきたからだ。
「あの日燃え尽きることできなかったけど この場所で戦うよ」
これを心から歌えるようになるのもまた、日本に帰って新しい人生の岐路に立った時だろうな。
逃げ出した先に楽園などありはしない。そこにあるのはやっぱり、戦場だけだ。
結局、そういうことだ。一見逃げ出したつもりでも、そいつは変わらず戦い続けているのだろう。
3月も始まって、あと8ヶ月か。またその内、自分の中の何かを言葉にして自分のモノにできる時が来るのだろうか。
何とも威風堂々な鳥。俺たちもこれくらい胸張らんとな。
すっかり打ち解けたドッグス。
小型犬と違いデカい犬は落ち着きがあるのがいい。こいつも品のあっていいやつだった。
いきなり一面のひまわり畑が現れて夏なんだなと思い出す。しかし枯れたのはなんか怖いな。
日焼け止めを昼間に塗り直す。サンティアゴからやっときゃよかったよ。
クソ暑いのに日向で横たわるお犬様。
子猫は攻略難易度過去最高で1日では無理だった。2枚目はかなり満足してる。
なんか黒い犬多いよな。こいつは積極的すぎて品の無かった。
マテ茶調べたら普通に日本でも手に入るようだが、現地で買うのが俺だろう。
久々のLA ANONINAにて。この道着はなんだろう。
子猫たちに囲まれながらの晩飯だった。
走行距離 270km
金 キャンプ場500 食酒1000