2月10日(金)雷雨のち晴れ
21:38 San Sebastián
またインク補充し忘れてボールペンで書いている。万年筆に慣れたらボールペンは細すぎるし滑らかすぎるしで書きにくくなった。万年筆は手に入れて良かった物の一つだな。明らかに日記を書くモチベーションに影響している。
今朝は目をこすりながら7時起床。昨晩は27時就寝だったからな。今日走ってる間も眠かった。
8時半から杏奈と朝食取って色んな話をした。
中でも印象深いのはコロナの話題。日本はどうだった?と聞かれたので、日産期間工時代のあの2ヶ月間を話した。2020年3月末に日本でパンデミックが起き、それから5月末まで工場が停止し宙ぶらりんになったまま隔離が続いたあの2ヶ月間だ。俺は勝手にニート期間と命名した。英語の勉強したり、旅の計画を練り直したり、料理作ったり筋トレしたり色々した。
今でも日本ではほぼ全員が基本的にはマスクをしていると話した。それはまあ、個人が周囲に流されず自分の判断でに基づいて正しいと思うことをすればいいと思う。
しかし子供達が給食の時間に友達とお喋りもできていないということだけは俺は解せん。彼らにとって人生の中で大事な時期であり、掛け替えのない時間なのだ。
修学旅行だってそうだ。コロナ禍での修学旅行の話はユカさん達や高橋さんからも聞いていた。聞けば聞くほど、どうしてお前らはそんなにセンスがないのだという、クソみたいな妥協案を子供達に強いることで事なきを得たつもりになっている。もっとやりようがあるだろうよ。これに関しては俺は間違いなくあんなクソみたいな修学旅行を考えた連中より良い案を提示できると断言できる。
クソッタレ。思い出すだけで腑が煮えくり帰ってきて思わず日記に無い怒りまでブチまけてしまった。
せめてアンジュやゆなやん達くらいには大人として何かしてあげたい。
たどたどしい英語でアンナにそういった不満を話した。
かといって、最善を尽くさねばならない立場の人間の心境も理解できる。俺には解決策は提示できないし、これは正解のないことだ。
ともかく、コロナはクソッタレだ。ある程度歳を取ったおれたちはいくらでも上手に不満をいなすことができる経験も金もあるが、子供達は違う。
彼らの青春を邪魔することは何者にも許されないのだ。クソッタレが…。
しかし、こんな真面目な話も、3日も一緒に過ごせば出てくるもんなんだなと思った。
アレックスやミゲル、ルーディともそうだった。酒飲みながら宗教が起こす争いや日本の少子高齢化について話し合ったりもしたもんだ…。
10時にロベルトも来て、丁度坪井さんからメッセンジャーも来ていたとこだしビデオ通話を繋げた。
32年越しの再会!!俺の提案だったが、二人とも喜んでくれた!!よっしゃ!!
二人のやり取りを隣で眺めていたが、坪井さんばりばりespañol話すやん…。やっぱすげえや。めっちゃかっこ良かった。だって何十年ぶりだぜ?当時の坪井さんの若かりし姿をちょっとだけ見た気がした。俺もこうなりたいぜ…。
ロベルトが当時のナンバープレートを持っている姿を撮りたかったが、所在不明とのこと。カネラさんが帰ってきた時にまたお願いしよう。
バイクの前で3人並んで最後の集合写真を撮った。ロベルト、アンナ、本当にありがとう。まさかアルゼンチンの家庭の一員として生活させてもらえるとは旅を始めた時は想像だにしなかったよ。綺麗な寝室も、美味しい食事も、何より俺に優しくしてくれてありがとう。日本から手紙書くね。
そこからはR257をひた走り、面倒なだけの国境越え2回、フェリー1回、途中雹と大粒の雨に降られ、木が一本も生えていない大平原にポツンと一人の状況で落雷を目にし生きた心地がしなかったが、何とか350km走ってここまで来た。
野営地探すのが面倒なのもあり、吉田さん達の話に倣ってダメ元でガソスタの兄ちゃんに「宿が取れなかったから、裏にテント張って良い?」と聞いたらノープロブレムってことで、強風を避けられる場所まで教えてくれた。ありがとうね。お礼としてガソリン代のお釣りは彼に渡した。
とりあえず撮っとく。
ナルト好きの少年。仙人モードなのがまた良いな。大した奴だ。
アンナからの支給品をお犬様から守るミッション、無事成功。職務怠慢じゃねーか、君。
めちゃくちゃ美味い。携行食としても最高だなコレ。
こないだのアサードの時も見た番組。クイズミリオネア的な奴。
こんなとこで寝るのは日本でも未経験。しかし近くに確実に人がいるのは安心するもんだな。
ここ数日、色んな出会いと別れがあった。
32年越しに津美さんの旅が俺の旅と交わり、坪井さんが失意の中で旅を終えた地で、今度は俺がこうやって素晴らしい繋がりができた場面に関われている。
「俺も知らぬ間に、誰かの人生の舞台装置の一つになっていたりしてな」
そんなことを走りながら考えた。それなら本望だ。
坪井さんが旅を終えたのは32年前。俺が0歳の時だ。
今回の出会いは、ロベルトの娘さんであるカネラさんの一つの行動がきっかけで始まった。
偶然彼女が、32年前日本人からバイクを買った当時の父の写真とナンバープレート、その他書類を見つけた。
それらから、その日本人は坪井伸吾という人物であることがわかり、Facebookで調べると本人を見付けたためメッセージを送った。
普段は外国語のメッセージはまともに読まないらしい坪井さんが、その時は何かを感じたのかそのメッセージに目を通し、32年越しに娘を通して彼らは繋がった。
そして偶然、南米を走るという西村雄志郎32歳に坪井さんが今回の話を聞かせ、彼らに会ってみないかと提案し、西村は一瞬考えたのちに「関わらせてください」と返事をした。
何か一つでもズレていたり、俺が南米を旅先に選んでいなかったら、旅に出ることを辞めていたら、我々の人生は交わらずそのまま一生を終えていたかもしれない。
出会いと別れを繰り返して俺たちはまた明日へ進む。
哀しいことも嬉しいことも全て含めて最高だよ、俺の人生は。
今日も良い一日だった。
走行距離 350km
金 ガソリン700 フェリー700 パン500