ただの男がバイクで世界一周を叶えるまでの記録。

高校生からの夢、バイクで世界一周を叶えるまでの記録をまとめたブログ。旅の理由、決断に至るまで、お金のこと、旅の準備、旅の様子など、考えうる全てを後に続くライダーのために残したいと思っています。

それでも走る理由

 

2022/10/25 超晴 

 

17:02 自室にて

本日3記事目。

YouTubeやら何やらも試してみたが、結局はブログが一番手っ取り早くていいみたいだ。

 

 

なんとなーく今まで貯めたブログ記事を見返してたら、「モチベーションの維持」という記事が目についた。

モチベーションの維持。

その記事で語る自分は、まだ他所の土地で数年暮らすことも、激変した世界に翻弄されることも、多くの人との出会いにより自分が変わっていくことも知らない。

何事もなく無敵の愛車と一緒にフェリーに乗ってウラジオストクに渡り、五大陸走破の旅を走り始める自分を夢想して、目をキラキラと輝かせていたことだろう。

今の私は、あの頃とは最早別人となった。

 

 

夢は、呪いとなる。

どうやって呪いとなったか?

様々な要因があるが、一つだけ記録する。

それは価値観の変化だ。

2018年9月に腹を括ってから4年。

私の中の価値観は当時は想像さえしないほどに変化した。

なぜ変化したか。

それは多くの人との出会いがあったからだ。

 

私は、人が好きだ。

旅先での出会いは特に大好きで、私の旅の本質は、予期せぬ一期一会の出会いにこそあると確信している。

そんな出会いにこの四年間は恵まれた。

しかし、その出会いが自身の価値観を変え苦しむことになろうとは何とも皮肉な話だとも思う。

 

では、どう変わったのか。

簡単に言うと、落ち着いてしまった。

他所の土地で色んな人に出会い、繋がりが生まれ、自身の世界をゼロから新たに拡張していく。生まれた土地以外の帰る場所を見つける。その面白さと、心地の良さを知った。

福岡での三年間、東北での半年間が私に気づきを与えた。

 

 

「このまま普通に暮らしていいのではないか」

 

 

その気づき故に、そう思うようになってしまった。

少し前の私は劇的な人生を望んでいた。

それこそ、快活な小説の主人公のように。

何度も事件に巻き込まれるも、何だかんだで悪の組織をぶちのめすアクションヒーローのように。

DBSクルーズフェリーの廃業だって、「こんな困難を待っていた」なんて笑い飛ばしてやった。

だが、落ち着いてしまった。

私の心は、最果ての荒野でなく、暖かな陽だまりに居場所を求めるようになってしまった。

 

 

 

 

宝物を見つけてしまったとき、価値は移ろい、旅は終わる。

幸か不幸か、見つけてしまったのだ。

それからは、矛盾した心と身体との対話にエネルギーのほとんどを費やした。

価値観が変化するということはこれまでの自分を否定し、疑うことになる場合もある。

誰に認められずとも自分だけが認めていられれば納得できる確かなもの。

それがなによりも自分を支え、孤高でいられた。

それが、ポッキリと折れてしまった。

 

 

「五大陸走って証明するのではないのか」

「何のために時間と金を捧げたんだ」

「こんな気持ちで走ってどうなる?」

 

 

自問自答は終わらなかった。

人との出会いで得られた変化した価値観は、柔軟性のある自分だからこそ手に入れた財産でもある。

だが、それが最も自分を苦しめることになった。

 

もう普通に生きていいのではないかとさえも本気で考えた。この決断は誰に見せるものでもなく、自分が納得するならそれでいいというのが信条だ。その時、たしかに自身でもその選択の可能性に納得していた。

 

諦めるには十分な理由もあった。

約二十年も夢想した旅は実現不可能となり、追い打ちをかけるように円安やインフレも起きた。

「このまま日本での旅を続けよう」

そう考えた。

フェリーの廃止も、コロナも戦争もバイバックへの変更も私を諦めさせることはなかった。

なのに、だ。

 

「こんなに俺は弱かったのか」

 

人生で最も打ちのめされた瞬間だった。

 

 

 

 

だが、それでもだった。

 

夢が呪いとなったなら終わらせなければならない。そうでないと、このわずかに光る夢だったものを傍らに無視して生きることはできない。もっと苦しむかもしれない。

それに、いつか普通の生活に戻った時に、自分を好きでいてくれる人たちに対して負目のないカッコいい自分でいたい。

だから走ることにした。

それが誰のためでもない自身へのケジメの付け方だ。

 

 

 

そしてもう一つ。

それでも、なのだ。

想像すると、どうしてもワクワクしてしまった。

 

現地で現地を走るバイクを買うということは、現地人に近づけるということ。

現地の服も買って、それ着て走って現地の飯を食って、現地の町工場に助けられて、宿を転々として多くの人達と出会い、その人たちの人生を垣間見ることから再び自身の価値観をあるべきカタチに研ぎ澄ましていく。

それを想像すると、ワクワクした。

それは私が福岡や東北で過ごしてきた時間と同じものなのだ。

奇しくも、私を一度は苦しめた変化した価値観が、私を救うことになった。

 

 

 

素敵だと思う。

心の底から思う。

最高じゃないか。

人の心はこんな形で救われることもあるのか。

あんなに苦しかったのに、今はうそみたいにワクワクしている。

パスポートを貰うのも航空券を買うのもESTAを申請するのも宿の人と英語でやり取りするのもワクワクしてしまう。海外の野宿を知り恐怖することにも、治安のクソな街で洗礼を受けるのにもワクワクしている。

呪いを終わらせるだけのはずだったのに。

この準備の四年間があったからこそ苦しみ、救われることを知った。

 

 

私はこの事実が嬉しい。

結局は、人なのだ。

どんな絶景でもなく、どんな宇宙の奇跡でもなく、人こそが最も人の心を動かすのだ。

 

 

 

モチベーションの維持は地獄だった。

準備期間で最も苦しかったことと聞かれたら、迷いなくそれだと答える。

だが結果的に、今はこうしてそれでもと尖った歯を見せて吠える気合にも満ちている。

 

俺を諦めさせてみろ世界!!

心の旅は続く。

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