お疲れ様です、ゆうしろうです。
福原遥ちゃんのYouTubeチャンネルを見ながら書き込んでます。ゆるキャン△メンバー3人が集まって目の前でわちゃわちゃしてるんですけど、可愛いですね。結婚せざるを得ない。
なんつって今は冗談こく余裕もあるくらい、実家での生活に慣れましたが、帰ってきた当初は想像できないくらい違和感に包まれていました。
少し振り返っていきましょう。
10月5日㈫、遂に3年間暮らした苅田町、行橋市を去る日が来ました。
最後の夜は師匠のご自宅の晩御飯に招いていただき、お酒も飲んだのでそのまま庭にテント張って一泊させてもらいました。
出発の朝も快晴で、「俺の門出を祝ってくれとんな〜!」なんて真っ青な空と日の出を見ながら浸ってました。
いつも通り庭で優雅に朝食もいただいて、学校に行く娘ちゃんを見送って、奥様にも挨拶して師匠んちを去りました。
町を去る前に、最後に師匠んとこのバイク屋さん、バイクフリーさんに最後に挨拶へ。
社長さんには3年間お店の場所と時間を使わせてもらったことに感謝を述べて、旅の話と出発までの話もさせていただきました。
「いいやつから町を去っていくなあ」と言って下さったのがすごく嬉しかったです。
師匠には…なんか言ったっけ?笑。あぁ、ワクチン接種2回目でちょっとフラフラしてたんでまた今度にしました笑。どうせ長崎で会うしなと。
んで10時30分頃、いつまでいても仕方ないのでサパっと別れを告げて、セローと共にお店を出て、201号線を西に走り、長崎への帰路につきました。
走り出して5分くらい、香春町あたりを走ってるとき。
あっという間にサイドミラーの点になっていく見慣れた行橋市の景色に、抗いようのない時間の流れのようなものを感じたのを覚えています。
旅の終わりとか、楽しかった遊びの帰り道って、名残惜しいから少しアクセルを緩めてしまうんですよね。今回もそんな感じでした。
でも、どんなに緩めてもバイクは簡単に時速50kmは出てタイヤは回り続けてしまうので、私の思いとは裏腹に慣れ親しんだ第二の故郷となった町を背後に置き去りにしてしまいました。
走馬灯…と言うのは大げさな気がしますが、町が遠くになればなるほど今まで私に良くしてくれた人達の顔や言葉が頭の中に繰り返し思い起こされました。
それを感じながら、「ああ、本当に終わってしまった」と頭の中で言葉にしたのを強く覚えています。
あの時、私の旅の何かが終わってしまったのだと思います。ただの準備期間のはずだったのに。
しかしいつまでもそんな気持ちでは前に進めないため、「切り替えや切り替え!!」とメットの中で叫んで頬をメット越しにブッ叩いてひたすらセローと走りました。
『長崎』『鹿島』と書かれた青看板を見つけた時に呟いた「マジで帰って来たな」は明るい気持ちだったと思います。
道の駅鹿島でゾンサガのキャラクターパネルを見たときも帰ってきたことを喜んでいました。
地元民ながらも、人生で初めて小長井のフルーツバス停で写真を撮るくらい余裕も取り戻していました。
故郷に着いてからも、実家に帰る前に前職の先輩や農家の友人に会いに行って歓迎されて、「何だかんだ俺の地元やなあ」と安心だって覚えました。
そして18時頃、実家の駐車場にセローを停めて家の中に入るわけですが、おかしいんですよね。全然、体が動かないんですよ。
キャリアのベルトを緩めて、サイドバッグを下ろして荷ほどきをしなくちゃいけないんですが、全く体が動かなくて。
なんだか、荷ほどきを終えた時、本当に俺のあの時間、北九州市、苅田町、行橋市で過ごした3年間が終わってしまう気がして。
目もどこを向いているのかわからなくて。自分が何をしたいのかも、どこに立っているのかも、喜んでいるのか悲しんでいるのかもわからなくて。
なんとかやって荷物を家に入れてイスに腰掛けたのですが、心ここにあらずで。
たまたま遊びに来てた可愛い姪っ子達に絡まれても上手い返しが全くできなくて。
魂がどっかに行ってしまったかのようでした。
まさに放心状態でした。
不思議な感覚でした。
初めての感覚でした。
2年ぶりに母ちゃんの美味い飯も食って、キレイな風呂にも入って、あれだけ会いたかった猫達も好き放題愛でることができて幸せを感じるはずなのに、その感覚はいつまでも抜けませんでした。
無理矢理気持ちを上げるため、『007 カジノ・ロワイヤル』を観て寝ました。
気持ちのいいベッドのはずですが、よく眠れない夜でした。
それからはとにかく気持ちを切り替えるために、このニート期間(雇用保険受給期間である10月〜12月)にやるべきことできることをリスト化してタスク消化に奔走しました。
そうして今日、あの町での生活及び実家に帰還してから一週間が経ち、冒頭に書いたようにいつもの長崎での私に戻ったかと思います。こうしてブログを書く余裕も戻りました。
人間てのは、都合がいいのか逞しいのか…。
長く辛く、でもとても幸せな三年間でした。
覚悟を決め実家を出た2018年11月11日時点では、ただ軍資金を稼ぐためだけの生活と割り切っていました。
こんなにも劇的な準備期間の3年間となるとは夢にも思っていませんでした。
漫画の主人公のように地元のバイク屋のおっちゃんを師匠に持つことになるなんて思ってませんでした。
その出会いをきっかけに色んな人に出会い、支えられて、暖かい言葉を掛けてもらえて、最初は嫌いだったあの町があんなに好きになるなんて思ってもみませんでした。
私は、幸せでした。
「旅は準備こそ面白い」が私の格言です。
全てが終わり、これまでを振り返ったとき私が真っ先に懐かしく思い返すのは、旅の日々ではなくこの3年間の日々でしょう。
いえ、この日々も私は旅そのものだと思います。その一つの旅が、私の中で終わりを迎えたのだと思います。
だからこそ、「終わってしまった」と感じ、本当の意味で終わらせないために荷ほどきをできなかったのだと思います。
私は本当に幸せものです。
本当に楽しかったです。
本当に嬉しかったです。
最後の数日、「いつ帰ってくるの?」「また住む予定はあるの?」と言われたときは、本当に嬉しかったです。
地元を離れたことがなかった私に、第二の故郷ができました。
旅人にとって、帰る場所がある以上の幸せはありません。
今こうしていられるのは皆さんのお陰です。
本当に出会えてよかったです。
今こうして全て伝えるのは早いかもしれませんが、私は本当に嬉しかったです。
まだしばらく旅の準備は続きます。
年が明けたらまた長崎を出る予定です。
新しい出会いと別れが待っていることでしょう。
そのために、気持ちを切り替えて前に進まなくてはなりません。
受けた恩に対する感謝を、行動で表します。
次に会うときはもっと立派な男になっていますんで。
とてもここだけでは全てを伝え切れませんが、一旦の区切りとして皆さんに気持ちを伝えたく記事としました。
これで私の旅の第一部は完結です。
3年間、お世話になりました。
また次に会える時まで。
2021年10月12日㈫21時35分
実家自室にて
西村雄志郎