お疲れ様です、ゆうしろうです。
一ヶ月ぶりの更新です。
皆様お元気でしょうか?私は仕事も私生活も元気に楽しくやっております。
秋田はやっと暖かくなってきたところです。先日友人から、長崎は30℃近くになったと聞いて驚きました。
GWもヘトヘトなりましたが、女子大生3人が手伝いに来てくれて職場が華やかになり、とても楽しく充実した一週間でした。
長崎の皆さんも、第二の故郷である福岡の皆さんも、急激な気温の変化で体調を崩されないようにお気を付け下さい。
さて、大事な話があります。
実は現在、バイバック(旅用バイクの現地購入&現地売却)の方向で動いています。
オーストラリアのパースのバイク屋さんである、In City Motorcyclesさんとやり取りをしているのですが、「Yes of course! No worries 👍」と返事が来て以来、全然返ってきません笑。
さて、理由としては以下になります。
①コロナ禍というだけでなく、ロシアの侵略行為により輸送コンテナが圧倒的に不足し、個人の貨物輸送が非常に現実的でなくなってきたこと。
②そのことから、例え輸送可能であっても輸送費が当初の予定の10倍程に膨らんでしまったこと(同志である額賀さんからの情報提供)。
苦渋の決断でした。
自分のバイクで大陸を走破する。
人生の相棒であるセローと一緒に旅をする。
これが私にとっての旅の形でした。
疑いようのない当たり前の旅の姿でした。
しかし、手続き面が難航するばかりか、輸送費が下手すれば100万円以上となると、私の経済力ではどうしようもなくなってしまいました。
悔しいです。
正直、新型ウイルスの発生も、戦争さえも「可能性としては十分にある得る」と覚悟した上で今の生き方を選びました。
しかし、それらが原因で私の旅が根底から覆るなんて、疑ったことすらありませんでした。
予想していれば、何かしらの形で事前に対策を打てたかもしれません。
これは私の弱さです。まだまだ甘いですね。
悔しさを語ればキリがないです。
あんなに師匠からセローの整備もカスタムも鍛えてもらったのに、それをいざ本番で発揮できないなんて。
決断に時間が掛かったのは、この点も非常に大きいです。
しかしながら、前向きな考えも自分の中で生まれています。
「様々なバイクを乗りこなして大陸を走り回るのもそれはとても楽しいのではないか」と考えています。
過去に乗りこなしていたアメリカンでも、試験場で操ったネイキッドでも、何ならセローに負けないくらい濃い付き合いをしているスーパーカブでも良いんじゃないか?
そんな思いで、今はワクワクしているくらいです。
だって私、バイクの運転めちゃくちゃ上手いんで!大型二輪一発試験で一発合格ですよ!?しかも白バイレベルの93点!しかも受かる自信しかなかった狙い通りよ!!もうどんなバイクだって乗りこなす自信しかないですよ!!!
てな感じです。
恐らく、カブに乗り始めたのが大きなきっかけではないかと思います。
こんなクソ非力なバイクでも、乗り手次第で色んな長所を発揮できると学びました。
また、そんな便利で不便な体格に合わないオンボロカブを、ひぃひぃ言いながらも楽しく乗りこなす自分がちょっとカッコいいなとか思い始めてて。
譲ってくれた師匠にこんなところでも感謝ですね。
秋田での生活の始まる前に、坪井さん達にお会いしたのも大きいと思います。
坪井さんもかんいちさんも青山さんも國本さんも、皆さん色んなバイクで色んな形で旅をしています。
「じゃあ俺も、レジェンド達のようにそのスタイルでやりきってもいいんじゃないか?それこそかんいちさんに憧れた俺が、かんいちさんのように世界をカブで走り回ったら運命的で最高なんじゃないか?」
そんなことを思いながら、秋田まで走っていました。
このことは、まずは同志の額賀さんに伝えました。額賀さんとは当初からお互い協力してバイクの輸送のために四苦八苦した仲間ですので、まずは伝えたいと思いました。
DBSフェリーが運休して復活してトドメに倒産したときも、一緒に一喜一憂したものです。
彼は準備していたのと、何より譲れない信念があるため今もテネレを輸送するために奔走し、もう少しで決着がつくところです。
彼に伝えたとき、「改めて、自分の旅で何が一番大切なのかを考えてみよう」と話してくれました。
セローで走ることなのか。
バイクで走ることなのか。
バイクで旅して色んな人と出会うことなのか。
答えは最後に出ました。
私にとっては、バイクを駆り、その道中で一期一会を感じていく。それが一番譲れないものでした。
額賀さんは額賀さんの旅を、俺は俺の旅を貫いて自身の存在証明を確かなものにする。
「間違いなく新時代のパイオニアとなる」とも話しました。
私は私の旅で、世界バイク旅新時代の旅の姿を遺していきたいと思います。
以上です。
久々の投稿で長くなりました。
もちろん、後悔は残るでしょう。もしかしたら死ぬまで負い目となるのかもしれません。
それでも、なのです。
それでも私なら、無理に自分を納得などさせることなく本心から「この路を選んでよかった」と言えると信じています。
それに、セローで走ることを完全に諦めたわけではありません。
オーストリアに始まり、南米北米アフリカ大陸と走ってたら、今の世界も多少は良くなっているのかもしれません。その時は満を持してセローと駆けるでしょう。
もちろん、根拠のない希望的観測に過ぎないですがね。
久々に大きな決断でした。
何度も何度も、もうガタガタの天秤に載せて迷いに迷いました。大きなエネルギーが必要でした。
当初の計画は全て白紙に戻ってしまいましたが、これもまた心の何処かで望んでいた逆境なのかもしれません。
また一歩ずつです。
楽しんでいきましょ。
2022年5月7日13時25分
秋田乳頭温泉の自室より