5月3日(水)晴れのち曇り
21:09 Antfagasta 砂漠野営地
6時半起床。朝靄に包まれていたが、朝飯にマフィンとコーヒー食ってる鬱に青空が戻ってきた。
地の果てまで連なる鉄塔の電線も相変わらずバチバチと不穏な音を響かせていたが、気にせず眠れたようだ。
朝からテント内で持ち合わせの現金を確認したら、何とチリペソ27万7千も持ってた。日本円で4万円くらい。こんなあったらカサマッテの宿代込みでも余裕で足りるだろう。心配して損した。
両替忘れてたボリやソル、アルゼンチンペソはサンティアゴで両替しよう。
朝飯。ドラゴンフライ復活してなかったらこんな時間もないと思うと、やっぱりガソリンストーブは必須だなと。
アルゼンチン入国時の三ヶ月前の自分に助けられた。
なんとなく記録。
出発してからこの街まで、昨日と同じくCOPECでコーラとポテチ食って一息ついた以外は延々と走りっぱなし。ガソスタのない区間が400kmと、チリでは最長だった。
アルゼンチンのRUTA40でも途中一ヶ所はあるもんだが、このチリのRUTA5、パンアメリカンハイウェイは本当の本当に何もない。草木すら一本も生えていない不毛の地だ。
丁度17時くらいにこの街に着いたため、仕方なくキャンプ場を探すも砂浜にポツンとボロボロのイスとテーブルがあるとこが、地図上で示されていたキャンプ場だった。マジかよ。
ガラス瓶割れたのとかタバコとかいっぱい捨ててあるが、これは夏の最盛シーズンのものだろう。
そして目の前には富裕層と思われる住宅地。道路も目の前で常夜灯の光もガンガン届くため、安全だと判断した。
人よりも潮汐が心配なため少しでも高いとこに設営し、万が一潮に満たされても大丈夫なように予めドラムバッグとサイドバッグにウェアなど濡らせないものをパッキングして浸水に備えた。
予定通りSIMを手に入れていたら迷わず潮見表をしらべるのだが、致し方ない。
また、COPECを境にRUTA5は二車線化され、道も綺麗になりガードレールと木柵も現れ出して、この先は前山でのように岩陰に隠れての野営はできなくなると判断し、海側に一時的に避難してきた。
サンティアゴに着くまで残り4日か5日、同じようにして野営地を確保しなければならない。
そしてトラブルが一つ。
遂にエキパイのナットを一つ失った。振動で緩んで道路に落としたようだ。あんだけ締めてたのになぜ緩む?わからん。
途中のゴミ山で12のナットを探すも見つからず。
そしたら道端でロープの残骸を見つけて閃いた。わっかをボルトに通して反対側の末端を車体に結んだら良い感じに抑えになった。これで部品全体の脱落はないだろう。
アントファガスタでナットを手に入れるべきだろうが、面倒だ。片方のナットはバッチリ締まっているし大丈夫だろ。このままサンティアゴまで走り抜ける。
残り1400km。
路肩のこれはなんやろ。動物の糞かと思ったら何かの果実みたい。トラックが横転したとか?
こんな感じで固定。熱で溶けないかと思ったが、幸運にも耐熱だった。
ゴミ山で野良犬に煽られながらナットを探した。
なんもねえ。
またオアシスかと思ったら、ここは小規模なとこだった。
遠くに地上絵的なの。
この辺から砂漠にも柵が建てられ始めた。ようこんな数千キロの道を…。
アントファガスタの海沿いに出たら目を疑った。襲われたりしないのだろうか。
ポケモンバトル。
二、三秒見つめ合った後向かって来たから退散した。普通に怖かった。
なんか茶色の土手袋みたい。
晩飯。魚缶と米。リプトンのレモンジュースを温めて飲むのが幸せ。
こんなとこ。絶対に人に見つかる場所として安全と判断。この微妙な雰囲気を感じ取れるかどうかが野営旅のキモだと思う。たぶん一朝一夕で身につくものでは当然なく、幼少の頃からの遊びや年取ってからの趣味での経験が関わってくるのだと思う。
リールが終わってた。もう釣りするなってことなのかなと…。
人目につく場所の場合はサイドバッグも降ろして前室に納める。
眠らない街、アントファガスタ。朝方まで光が消えることはなかった。
真夜中は月明かりで随分明るくなった。
走行距離 430km
金 ガソリン2300 水と食糧1350