ただの男がバイクで世界一周を叶えるまでの記録。

高校生からの夢、バイクで世界一周を叶えるまでの記録をまとめたブログ。旅の理由、決断に至るまで、お金のこと、旅の準備、旅の様子など、考えうる全てを後に続くライダーのために残したいと思っています。

【Day110 Buenos Aires】心の旅

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「ザトウクジラのブリーチング」撮影:故・星野道夫



 

3月10日(金)晴れ

 

10時起床。特に何をするまでもなくダラダラ。途中からブログ作業。

スマホ見たら「What are you doing my bro」と高橋さんからメッセきたてので朝から電話した。

 

今後の計画を話した。

この前、残りの軍資金と今後必要であろう費用を改めて見積もった結果、オーストラリア大陸の予算がないことがわかった。予想以上に南米の時点でお金を使ってしまっている。

いや、今更って話なんだが。

 

エスタンユニオンでお金をおろし、ミゲルの家で落ち着いて考えられる状況であったため、現地で感じた手応えも考慮したうえで改めて予算を組んだ。

そしたら、オーストラリアの分がとてもきついと発覚した。予定通り走ることは可能ではあるのだが、今となってはそうする気になれない理由がいくつかあった。

 

 

 


一つ。

日本に帰ってからのスタートダッシュが難しくなる。俺はそれを望まない。

なぜなら日本での新しい人生も今の旅と同じくらい楽しみだからだ。だから100万は最低でも残すというのが、未来の俺への約束だ。どんぶり勘定でその数字に根拠はないが。

 

「まいったな、どうするか」「一年走るっつったのに、北米終わって9月にゃ帰るんか」「かっこ悪いか。まあそう思われるよな」

 

一瞬普通の人間らしく考え、俺らしく一蹴した。

9月に帰ってソッコー出発日本一周、最高じゃねえか。

走りが気持ちがいい季節に着の身着の儘新しい自分とセローとで日本を見て周る。今度はたった25日間ではなく、丁度いい二ヶ月くらいで。絶対に面白くなる。

一瞬で決まったあと、いやいやいつものように暴走してないかと言い訳にしてんじゃないかと冷静になり考え込んで、やはり間違いないと決めた。

 

二つ。

そもそもオーストラリア大陸にあまり興味がなかった。

それほど興味がない大陸に、三大陸走ったという記録のためにとりあえず行ってみる。そのことに疑問があった。

なぜあれほどの地に興味がないのか。

純粋に、俺のルーツがないからだ。オーストラリアは俺の人生にこれまで何の関わりもなかった。

 

南米にはあった。

チェ・ゲバラが走った土地というだけで十分だが、ウシュアイアにもボリビアペルーの街にも興味があった。

 

北米は言うまでもない。

アラスカに行かなければ俺は死ぬことはできない。星野道夫が彼の地で見た「もう一つの時間」、それをこの目で見ること、いや、見るために人生を賭けて旅の末に辿り着くのが俺の旅の最大の目的であり、物語として思い描いてきたものだ。

よって、オーストラリアは当初からアラスカ到達後に走るボーナスステージという扱いだった。

故に、それなら今心から走りたいと思っている日本を走ろうと決めた。

元々、オーストラリア走破後も軍資金に余裕があれば日本一周はするつもりではあった。

だが、その場合東北はすでに冬。会いたい人にバイクで会いに行けるのがずいぶん先になるなと少し気になっていた。そう思っていた矢先の今だ。

 

自分の旅のスタイルや現地でどうしても掛かる費用、自分の欲望に負けて無駄に発生してしまう費用まで計算できなかったのは自分の不甲斐なさ故だ。情けない。甘かった。

しかし、起きてしまったことを今後悔しても仕方がない。悔やむのは日本に帰ってからやることだ。

 

そして三つ。

これは後日光生と話していて再度確認できたことだ。

何が正義か。楽しいが正義だ。

順を追って記録すると、まず、何大陸走った、何日何万km走ったとかに、自分でも信じられないほどに今はかけらも興味がなくなった。

この生き方を志した当時15歳くらいの頃は、五大陸三年間二十万km走行という言葉に鼻の穴を膨らませて興奮していた。それはコロナの発生で計画が一度ゼロになる29歳の春まで揺らぐことはなかった。

だが、色んな人と出会い旅の形を知って現実と理想を上手に付き合わせる術を持つことで、それは俺の中ではいつの間にかただの数字に変わった。俺が本当に欲しいものとは全く関わりがないものだとわかった。

 

「三大陸一年間走って成仏させる」

 

他人にはこんなわかりやすい言葉で伝えていた。

そしてそうは言っても、何大陸走ったと言う数字の記録への執着をまだ完全に吹っ切れていない自分もいた。

だから一瞬、

「二大陸九ヶ月で帰るのか」なんて今になっても考えてしまった。

 

そのことを高橋さんに、どう思いますかなんて聞いたわけだ。くだらん質問だったな。情けねえ。

そんなことで何かを言ったり思ったりするのは、ただのつまらん奴等だと言ってくれた。俺はたぶんこの言葉が欲しくて質問した。情けねえ。

だが、その通りだ。自分でもそれはわかっていた。そいつがいいと言えばそれ以上たらればもないのだ。それはその人にとって大きな旅を経験したことがある人なら必ず知ることだ。

 

 

殴り書きになったが、ともかく俺はそう決めた。

楽しいは正義だ。楽しい以上に優先される事柄はない。

バイクを降りることで楽しさを見つけられるのなら、俺は喜んでバイクだって降りてやる。

楽しいは神であり、自分自身だ。

 

とかまでは熱弁はせんやったが、高橋さんもそりゃそうやろと、「何を当たり前のことを言うとるんじゃ」みたいに言ってくれた。ですよね。

 

東京移住だって本気で考えている。冒険の地としてやはり魅力的すぎる。



 

 

他は…あ、そうやん。

あんじゅとアカネ卒業&進学おめでとう。

二人ともあの時からまた一生懸命勉強を続けていたのだろうな。姉妹揃って志望校に受かるとはすげーよな。不安と期待と入り混じった入学までの待機期間を過ごしているのだろうが、肩の力抜いて思いっきり羽伸ばして欲しいな。今しかない時間なんだからさ。部活とかもどがんするちゃろうな。また帰ってからの話が楽しみだ。

かしゆかさんも娘二人が人生の大事な場面を同時に過ごしていたとは気が気がじゃなかったろうな…。親御さんの気苦労は想像できんぜ。皆さんお疲れ様でした。

ちなみに在校生送辞は生徒会長のゆなやんが読んだらしい。だはー緊張したばいな。今度電話で聞いてみよう。

 

 

クソ長くなったな。

そんな感じでバイアブランカや進撃の話もしながら長電話していた。

そういえばミゲルに高橋さんのことを説明する時「mentor」を使うんだが、「master」とどっちが適切なんやろ。

 

 

んで夜はまた3人で飯食いに。

今夜はエンパナダス屋。はじめてチーズに挑戦したけどめちゃ美味いんだな!!ベーコンと、とろりとしたチーズがぎっしり中に入っていて、一口噛んだらピザみたいにチーズが垂れてくる。

カルネも肉ゴロゴロで肉汁まで垂れてくるほど。

チーズとカルネと合わせて3つ食ったが、足らん!!絶対もう一度来ようと密かに誓った。

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食後は大人気のアイスクリーム店にデザートに。アイスはEl Calafateで日本人の彼らと食った時以来かな。山盛りで500円。味も最高。

 

んで最後にまたBARで軽くビール飲みに。フロウルは翌日早いため先に帰って、男二人で男の会話をすることにした。

 

ずーっと気になっていたことを、「これはとてもプライベートに踏み込む質問だ」と保険を掛けて質問した。

 

※割愛

 

日本人はまだ楽な環境だが、それでも気持ちは一緒だぜ…。大変だよな。

 

この日はこれで終わり。やっとミゲルに踏み込んだ質問できて、男の悩みを共有できてまた仲良くなれた気がするぜ。

良い一日だった。

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見せつけあったからに。

 

 

走行距離 0km

金 晩飯1000 ビール500 アイス500