【手紙で想いを伝えることにした】2022.6.18 https://t.co/2EzjpjhfdL @YouTubeより pic.twitter.com/0MEMYUIVIu
— Yushiro Nishimura (@fasasabi_LWR) 2022年6月18日
6月17日㈮12:54
冷たい雨。
クソ天気の休日。
ジーンズの硬いポケットに片手突っ込み、流し台に腰を預けてゆで卵が茹で上がるのを待っている。
半袖じゃ、まだ寒い。
手紙を書いた。
気持ちを伝えたい数人に、半分ノリ、もう半分は真剣に。
手紙はいい。書いている間、その人のことだけを真剣に想っていられる。
想いすぎて、思い出す事柄によっちゃたまに泣いたりもする(過去に書いた親と姉弟への遺書では泣いた)。
こうやって片手スマホでフリックしながらブログ書いてても、やはり不特定多数の存在を感じながらとなる。
記録動画で一発撮りで好き放題喋ってるつもりでも、やっぱりどこかはにかんだりカッコつけたりしてしまう。
しかし手紙は、一人静かに、誰の目も気にせず、自分で自分の声に恥ずかしがることもなく本当にその人のことだけを想って気持ちを綴ることができる。静かなのが、いい。
きっかけは、なんだろう。
親友の友人代表スピーチで準備した手紙に手応えを感じたこと。
毎週日曜日、師匠のバイク屋さんで修行しながら聴いていた『SUNDAY'S POST』がとても素敵だったこと。
ヴァイオレット・エヴァーガーデンも素敵な作品だった。
恐らく全部。
手紙は静かで、真剣で、書き手の心を偽らない。余計な装飾もしない。ただ淡々と、ありのままを読んだ者に伝えられる、書き手と受け手のみの一対一の真剣なやり取り。
だから私は、短文のやり取りとなるLINEなどがあまり好きではない。不器用な人間同士、どうしても誤解が生じてしまうからだ。
文面だけでない。
文具屋さんでレターセットを選ぶときも、封印のためのマスキングテープを選ぶときも、切手を貼るときも、ポストにカコンと入れるまでも、伝えたい人のことを想っていられる。
そして届くまでも、届いてからも。
返事も全く期待しない。
自分の思いが伝われば、悔いはないからだ。
そう、悔いだ。
伝えられないまま今生の別れとなった恩人の死が、私を動かしているのもある。
人は言葉にせねば気持ちは伝わらない。
いつか伝えようと思っていては、永遠に伝わらない。
だから言葉にするしかない。
全くもって不器用だが、仕方がない。
好きなら、好きと。
嬉しかったのなら、嬉しかったと。
感謝しているのなら、感謝していると。
また会いたいのなら、また会いたいと。
そこまで器用ではない私には、そうすることしかできないってのもあるが。
さて、茹で上がったようだ。
俺も手紙もらえるくらいの人間にならねーとな。