ただの男がバイクで世界一周を叶えるまでの記録。

高校生からの夢、バイクで世界一周を叶えるまでの記録をまとめたブログ。旅の理由、決断に至るまで、お金のこと、旅の準備、旅の様子など、考えうる全てを後に続くライダーのために残したいと思っています。

恩師の墓参りに行ってきました

こんばんは、ゆうしろうです。

 

とある事情で軟禁生活を送っていたのですが、やっと解除されたため、天気も良くて暖かくなってきたことだし、恩師の墓参りに長崎市の南山手まで行ってきました。

 

浜町アーケードにある友人の元バイト先の花屋さんでお花を買って、線香とか忘れたので百均で桜の匂いの線香とライターと買って、墓で寛ぐためのパンを後輩の行きつけのパン屋さんで買って。

 


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恩師のお墓は活水大学の上の方の墓地の、一等眺めの良いとこにあります。

昨年11月、私が同期の中で初めて参りに来たのですが、探して見付け出すのには大変苦労したものです。

 

今回はすぐに辿り着きました。

ちょっとだけいつも話していたように挨拶してから、お花を添えて、線香を立てて、手を合わせて参りました。

お日様が気持ちがいいので、おやつに持ってきたパンと紅茶をいただいていたところ、色々思い出して感傷に浸ってしまいました。

 

恩師の名は、南宏美。

2021年3月3日、病気のため66歳にしてこの世を去りました。

南さんは、学生時代私が卒業まで3年間バイトしていたプールの社員のおっちゃんです。

豪快で心の広く、私達若手とも友人のようにいつも笑顔で対等に接してくれる人でした。

南さんは身体を壊すまで、若い頃から長くバイクに乗り続けていたため、いつも私はバイクの話を聞かされ、また、聞いてもらっていました。

オフロードバイクに乗ってレースにも出ていて、その話を何度も私にする度に「西村ぁ、オフ車は楽しかぞ〜!」とニヤリと笑っていました。私がオフ車に目覚めた要因の大部分は、南さんの影響なのでしょう。

卒業してからも何度もプールに顔を出して喋りに行ってました。差し入れ持っていったら、「いつもすまんな!」と笑顔で言ってくれました。親父が倒れて大変な時も、旅に出ることを決心した時も、いつも話を聞いてくれました。

自分がツーリングを重ねてどんどんバイクに熟達してのめり込んでいくのを、自分のことのように嬉しそうに聞いてくれました。

 

だからこそ、旅の土産話を聞いて欲しかった。またいつものように、「どがんやったや〜!」と聞いて欲しかった。

せめて出発する姿だけでも見て欲しかった。

旅仕様に仕上げたセローも見て欲しかった。

なんの整備もできないと言っていた自分が一人でタイヤ交換もできるようになったことも聞いて欲しかった。

まだまだ話したいことはあった。

当たり前のように、また缶コーヒー片手に話ができると思っていた。

あと数年早く決断していれば。

あのとき一度でも長崎に帰って話していれば。

 

悔いは残ります。

後悔ばかりです。

6年前に親友のお父さんが亡くなったときも、3年前に祖父が亡くなったときも、何度も繰り返してきました。

返せるはずだった恩は返せぬまま、同じことを繰り返しています。

 

しかし、この後悔が私を強くしてくれています。その後悔があるからこそ、今私の周りにいる、私に良くしてくれる人達に恩を確実に返さないとと思えるようになりました。

その人達に感謝できるようになりました。

 

見届けてほしかったけど、もう会えなくなった人達の生き様も、確かに私の中に残り、私はそれを見本に今生きています。

南さんとは30歳以上離れているのに、南さんはいつも友人のように対等に話してくれて、時には先輩らしく諭してくれました。いつもニカッと笑ってくれました。

私もそうありたいと思い、なるべく心掛けて生きています。

それを思い出すたびに、人が本当の意味でこの世から去ることの意味を考えます。

 

 

 

様々な思いが駆け巡りましたが、「南さんなら、なんばクヨクヨしよっか!と言うやろな」と思い、気持ちを切り替えてお墓の掃除をして帰りました。

 

 

 

後悔の念は消えませんが、それで私が落ち込むことを、もう会えなくなった人達は望んではいません。

カッコ悪いとこは見せられないし、もういい大人になってしまったので、頂いたものを忘れずに、納得できるまで走り続けます。

私は無宗教ではありますが、納得する形でやり遂げればきっとあの世で会えた時に、また笑いながら旅の話を聞いてくれると思っています。

歳を重ねればどうしても避けられない別れはありますが、きっとそれが人生なのでしょう。

墓参りしてまた気合いもらいました。

これが俺の自慢の恩師です。