ただの男がバイクで世界一周を叶えるまでの記録。

高校生からの夢、バイクで世界一周を叶えるまでの記録をまとめたブログ。旅の理由、決断に至るまで、お金のこと、旅の準備、旅の様子など、考えうる全てを後に続くライダーのために残したいと思っています。

出所しました

こんばんは、ゆうしろうです。

 

ロウソクの炎で部屋を照らしながら記事を書いています。

先ほどまでいつもの通勤路で一人飲んだ後、地元の友人と先輩とで三人でオンライン飲み会をして、ニートおめでとうと祝ってもらいました。

 

そうです、明日から私はニートなのです。

遂に、刑務所(日産自動車九州)生活を終えたのです。

2年と11か月の刑務期間満了です。

 

 

 

 

長かった。

あっと言う間でしたなんて簡単には絶対に言わない。

長かった。

初めはたった半年程度のつもりだった。

半年ここで期間工生活の手ごたえを感じて、夏は富士山ホテルでガッツリ稼がせてもらい、下山後秋から再び半年ほど期間工やって春に長崎に帰り少し休んで、旅立ち。

約1年半で出発する予定が、どんぶり勘定のため全然予算が合わないことに後で気付き、まだしばらく慣れたこの工場に居座って働くことに。

そうしていると師匠に出会い、新型コロナも発生し世界は一変。

ますます他所の地に移動する必要はなくなり、期間工の満了機関である2年と11か月を目指すことになった。

 

仕事は、大変だった。

覚えてしまった後でもちょいちょい変更はあり、その度にやらかすこともあった。ぶっ〇してえ~と思う奴だっていたが、歯を食いしばって耐えた。

 

よくしてくれる先輩と出会えていなかったら、今頃そいつをぶん殴って首、最悪本当にムショ生活だったかもしれない。

 

命に関わる仕事でもあるため、異常に神経質になることもしばしばあり、非常に気疲れした期間もあった。

 

夜勤も・・・クソだった。

 

風通しのいい会社と宣う会社ほどクソなのも勉強できた。

 

色々と矛盾をはらんだおかしな職場であった。

 

だが、それなりに職場のメンバーには恵まれた。

前述した先輩も、年長組のおっちゃん達も、若手の先輩もよくしてくれた。工長も基本的にはフレンドリーに接してくれて、他所の工程に配属されていたらここまで長く続いてはいなかっただろう。

色々と悪いとこも挙げまくったが、そう思うくらいには私は恵まれていたと思う。

 

激動のこの地での生活の半分を占めるこの仕事を終えた私は、明日からどういう目で世界をみるのだろうかと、ふと今思った。

人間何かを忙しくやっていた方がそれなりに幸せに生きられるものだが、その半分を失ったら、どうなるのだろうな。

この仕事自体は二度としたくねえが、今得ているこの感覚は、これだけ大変だったからこその物だろう。

 

いやしかし、よう頑張った。自分をほめてやらねばならない。

繰り返すが、二度とやりたくねえし、しねえ。

本当に大変だった。

 

全てが終わった後に旅の思い出を聞かれた際、ここでの3年間の仕事は欠かせないだろうな。

よう頑張った。

とりあえず明日からまた切り替えて、やっていきましょうかね。

お疲れ様でした。

 

そして職場の皆様、改めてお世話になりました。

ご縁があれば、またどこかの地で。

 

 

2021年9月30日㈭晴 23時半

日産寮自室にて

西村雄志郎

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