ただの男がバイクで世界一周を叶えるまでの記録。

高校生からの夢、バイクで世界一周を叶えるまでの記録をまとめたブログ。旅の理由、決断に至るまで、お金のこと、旅の準備、旅の様子など、考えうる全てを後に続くライダーのために残したいと思っています。

世界中をバイクで走りたい理由、旅する理由~後篇~

こんばんは、ファササビです。

ものまねグランプリ見ながら書きますので、昨日と同じテンションで語れるか不安ですが、見てって下さい。

 

社会人となる

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家業の跡継ぎとなると毎週日曜のみの休みとなり、ツーリングの回数も減るのかと思いきや、逆に「折角の休みだ!走らねーと!」となりロングツーリングは無理でも単発弾丸日帰りツーリングを繰り返し、バイクには相変わらず乗り続けました。

同じ現場が続くときはわざわざバイクで行くこともありました。

しかしやはり近所のツーリングも飽きてくるわけで、遠くに走りに行けるであろう週末ライダーたちが恨めしく呪いを放つ日々でもありました。

 

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まんねり化しつつあるバイク人生に刺激を与えようと思い、セローを購入したのは2014年の3月でした。

友達がトリッカーに興味も持って二人でレッドバロンに行ったらなぜかオフ車に目覚めて調べ始めたのがきっかけでした。

オフ車は学生時代から全く興味なかったんですがね。

2台持ちは厳しいため仕方なくスティードとはお別れしました。

 

 

富士山ホテルでの一か月

 

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2015年の5月、私の事情で家業を畳むことになり、図らずも数年ぶりに長い自由時間が与えられました。

本当にろくでもない考えですが、ならばと未開拓の東日本一周の計画を建てました。

その時登山にはまっていたこともあり(ヤマノススメ感謝ッッ)、ついでに富士山登り行こうかなと調べていたら富士山ホテルの「従業員募集」の項目を偶然見つけ、迷った挙句応募しました。

 

「正しい選択なのだろうか」「大人しく地元で就職活動をすべきではなかったのか」と迷いながら、富士山へ登りました。

しかし、そんな迷いはすぐに吹き飛ばされました。

それまで私は「人間は定職に就いて家庭を持って生きるもの」と反骨心を持ちながらもそれが当然と心の中では思っていました。

しかしそんな考えはこの富士山での一か月で見事にぶち壊され、「人間生きてさえいればどんな生き方でも生きていける」と、自分の人生観と改めて向き合える時間ともなりました。

結果、先輩方の後押しで東日本一周は日本一周へと変わり、寝る間を惜しんでルートを考え、宿やフェリーの予約を取り、かけがえのない経験と旅の軍資金を持って下山できました。

 

世界一周を誓った日

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下山後、私は富士山ホテル勤務中に知った、WORLD TOURING NETWORK JAPAN(通称:ワッツー)主催の『海外ツーリング読本』発売イベントに参加するために東京へ向かいました。

学生時代よりタンデムスタイル(バイク雑誌)を愛読していたため、ワッツーのスタッフさんでもある旅行家:藤原かんいちさんのファンでした。

残念ながらすれ違いで藤原かんいちさんとは会えませんでしたが、結果、同じように憧れることになる人物、坪井伸吾さんに出会いました。

坪井さんとたくさん話をさせていただきました。

バイク世界一周でアフリカ・中東を走ったときのこと、ほかにも色んなことに挑戦していること。

坪井さんに「自分も行きたいんですけど、英語が話せないので怖いです」と話したら「英語自体どこでも通じるわけじゃないから大丈夫だよ」と返されました。

聞くと坪井さんは本当に英語ができなかったみたいです。

「なにか凄いことを成し遂げた人間というのは、やはりどこか人より優れているところがあるからこそ何かに挑戦できるのだろう」と思っていましたが、坪井さんは話したところ本当に普通の人でした。ギラギラしたオーラも感じず、私と普通に話してくれるくらいでした。

他にもワッツーに所属している色んな旅人の話を聞けて、富士山ホテルの住人たちに続いて東京でも自分の価値観をぶち壊されました。

旅の写真を見ているときに通りすがりに寄った初老のご主人が「良いですねえ。この歳じゃ無理だなあ」と言われてました。

「なにをおっしゃいますか」と言いかけましたが、その言葉の重みにうまく返すことができませんでした。

ただ、この時、「ああ、絶対に行かないとダメだ」と思ったのを強く覚えています。

たぶんこの時誓ったんだと思います。

 

別れ際に、坪井さんから「なんとかなるよ」と本に書いていただきました。

 

日本一周へ

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その後、8月3日、日本一周へ出発しました。

約二年半ぶりに、学生時代のように気の済むまで走ることができて毎日最高の気分でした。

一期一会の出会いにも恵まれました。

北海道より先に大地があるのなら、アクセルを回し続けていたかった。

心の底から、自分の理想のバイク旅ができました。

 

北海道宗谷岬からの帰り道、どんどん長崎が近づくにつれ非日常が終わるんだという実感が強くなってきました。

しかし、帰宅後の再就職の不安などは微塵もなく、まっさらな気持ちで8月末に実家に帰ってきました(笑い話なんですけど、福山雅治の稲佐山LIVEに間に合うために行程組んだんですよね)。

日本一周に出る前の経験と一か月の旅を通して、知らなかったことをたくさん知ってやりたいことがたくさんありました。

 

そして日常へ

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一般企業に再就職し、社会復帰しました。

お給料の良い会社にいた期間に憧れのアフリカツインを購入しましたが、初代セローはその直前に事故に遭い廃車。その後ツインも一年持たずに再び事故(どちらの事故も被害事故でした)でお別れとなり、生産終了発表と同時に購入した二代目セローと走ることになりました。

今の会社で働き始めたときは「35歳までに貯金して旅立つ」「時間がかかっても良い」と考えていました。

そのため、野望は奥底で小さく灯り続けてはいましたが、着実に夢に近づいている実感は到底わかず、海外ツーリング読本や先人たちの冒険記を読み漁ることで発散していると、気付けば28歳となっていました。

幾度か「思い切って行ってしまうか」と思うことはありましたが、「キャリア形成のため」とか「今の日常が幸せだから急ぐことはない」「ゆっくり準備できる」とか、その度に「今すぐ行かない理由」を用意して納得させていました。

思いとどまった一番の理由としては、「帰還後の社会復帰」です。

帰ってきてからのことが怖かったんです

「あれだけ富士山やワッツーでの出会いで人生どうとでも生きてさえいれば生きていけると知ったのに、お前はどうして怖がっているんだ」「また富士山に登る前と同じじゃないか」と、自分で自分がひどく情けなく思いました。

 

背中を押されるということ

そんな思いで働いていて、「なにが正解かわからない」と、2018年9月8日、友達んちでの宅飲みにて、世話になっている大学の先輩に相談しました。

今すぐ準備をすべきか大人しくサラリーマンを続けるべきか一度は本気で決心したこと帰ってきてからが不安なこと再び臆病になっている自分が情けないこと、かなり吐き出させてもらいました。

そしたら「ニシムー(私のあだ名です)が夢を叶えるところが見たい」「俺も元気をもらえる」「俺も行きたいけど、恐らく行けない人生を選んだから、代わりに叶えてきてくれ」「背中を押して欲しいのならいくらでも押す」と言ってもらえました。

ただただ嬉しかったです。

自分が何かを成し遂げることで誰かに元気を与えることができるなんて思ったことがありませんでした。

自分の構想する世界一周バイク旅の話を自分のことのようにも聞いてくれました。

死ぬほど嬉しかったです。

ここまで背中を押してもらって踏み出せないのは男の恥として、二度と振り返るまいと心に決めた、決意の夜でした。

その3日後、退職届をしたため、このブログを開設することになりました。

 

 

 

バイクで走る理由

「そこに道があるから」です。

山の名言はネタにされることも少なくないですが、あれは最も的確な言葉のはずです。

スティードに乗った時、比喩表現などではなく本当に私には地平線に続く道が見えました。

望めばどこまででも走り続けることができるということに気付いてしまいました。

だから国内行けるところは可能な限り走り回りました。

近所の道でも最高でした。

一番走りたかった道は人生で一番テンションが上がる時間をくれました。

バイクは私に冒険を与えてくれました。

世界中にはもっとたくさんの道があります。

山海湖森川、どこにでも道があります。

世界は同じ地球上にあり、大陸に渡れば道は続いています。

行きたくても行けない人がたくさんいます。

大学時代紫電改展示館を訪問した際、同じくらいの年齢の若者が志敵わず散っていったことを知りました。

今は世界大戦中でもなく、行こうと思えば行けます。

金と時間があれば行けます。

バイクがある世界に生まれました。

バイクで走って最高な地球に生まれました。

バイク天国の日本に生まれました。

バイクに好きなだけ乗れる時代に生まれました。

バイクを死ぬほど愛せる人格に育ちました。

バイクで走る以上にワクワクできることを知りません。

バイクに乗るために生まれてきました。

バイクに乗っているときの自分が一番好きです。

バイクに乗っているときの俺は無敵なんです。

代わりに叶えてきてくれと託されました。

憧れの人に、今すぐ行くべしと言われました。

憧れに人に、扉を開くのは君だと言われました。

なんとかなるよと背中を押されました。

たくさんの人に勇気をもらいました。

 

じゃあ、行くでしょ。

行かないわけないでしょ。

行けるなら、行かんばでしょ。

正直まだビビることもあるけど、応援されたなら行かんばでしょ。

そこに道があるなら、走らなきゃ嘘でしょ。

走らなきゃ死ねないんですよ。

成仏できないんですよ。

世界中走ったと納得できないと、俺という人間は完成しないんですよ。

世界中をバイクで走りつくすために、いま俺の心臓は動いているんですよ。

 

 

旅人とは

分割一周か、一筆書きかの話題でも触れましたが、社会的な何かを可能な限り(本人の満足するまで)排除して、世捨て人と呼ぶにふさわしい人間になることが、私の自由な旅には必要な条件だと思っています。

手に入れる代わりに失う何かもすべて飲み込んでこその旅だと思っています。

それらすべてが、旅なのだと思います。

そのために私は一度身軽になる道を選びました。

帰ってきてどんなに苦しい思いをすることになっても、同じことを言い続けてみせます。

間違ってなかったと絶対に言ってみせます。

 

 

まとめ

以上でしょうか。

建前も恥も外聞もなく、吐き出させてもらいました。

結果的に半生を語ることになりました。

それだけバイクと旅が私の人生の根幹だということでしょうか。

いや~しかし後半は筆が乗った乗った!!(笑)

 

誰かの胸に響くと嬉しいですね。

 

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