こんにちは、ファササビです。
遅くなりましたが、最も重要である話題の一つ「旅する理由」について話します。
そのためには私がなぜバイクが好きなのか、なぜバイク旅が好きなのか、バイクに出会うまでの経緯…バイク歴のようなものを話さなければなりません。
自分語りの様なものですが、私を形成するバイクというものを聞いていただくことは、この挑戦を理解してもらうために必要ですので話させていただきます。
かなりの長文となりました。
内容に関しても見苦しかったら笑ってください。
バイクとの出会い~小学生から中学生まで~
子供のころからバイクが好きでした。
映画や特撮で活躍するバイクは私にとって憧れのヒーローのパーツの一部でした。
小学生の時に家族で行った熊本旅行に行った際にあるライダーを見ました。
大型アメリカンを駆り、景色を一瞥したかと思うとすぐのその場を颯爽と去っていたそのライダーの姿が子供心にとてもかっこよく見えたのを覚えています。
また、見知らぬ土地に行くことが好きでした。
旅行に行くのもですし、部活の試合で電車を使って遠くに移動したりも大好きでした。
小学校中学校ではバイクに乗れない為、代わりにママチャリで移動して、魚釣りに出かけたり、隣町のジャスコに友達と出かけたりしてました。
弁当と固定電話の子機を持って友達と近所の山に登りに行ったり、海岸線を歩き続けてどこまで行けるかとかもしました。
それだけで冒険でした。
高校生~世界一周との出会い、我慢の日々~
高校生になり、進路を決めることになりました。
その際父親に「長崎の大学に行くならバイク買うてやってもよかぞ」と言われました。
正直その時は進路のことで頭がいっぱいで、バイクに乗ることや免許を取ることは考えておりませんでしたが、思えばこの一言が全ての始まりですね(笑)
それを聞いて、「そういやクウガとかでバイク好きやったな」とか思い出しながら日本の二輪メーカーのHPを見始めました。
そこからは凄まじかったです。
一気に再燃し、毎日暇さえあればパソコンでバイクのことを調べていました。
車種、ツーリング、イベント・・・バイクに関わる全部が魅力的でした。
当時はクラシックバイクやアメリカンが好きで、SR400のファンサイトは穴が開くほど何時間も見つめていました。
https://www.longwayround.com/
また、確かこの時ナショナルジオグラフィックで放送されていた『Long way round~ユアン・マクレガー大陸横断バイクの旅~』を偶然見かけ、いつかバイクで世界一周をしたいとも思うようになりました。
再びバイク熱が再燃してからは歯がゆい思いを長くすることになりました。
当時、バイクのことが好きな友人はほとんどおらず、いたとしても車種やツーリングはどこに行きたいとこは話せる相手は皆無でした。
同じ趣味を話せる相手がいない苦しみはこの時点で初めて味わいました。
進学校のため当然免許取得など不可能でした。
毎日机にSR400を落書きしたり、どや顔で友達に駐輪場のバイクの名前を全て話したりして発散させていました。
バイク熱は当然進路にも影響を与えました。
愚かな高校生の私は、「大学4年使って目一杯バイクに乗りまくりたい」と考え、当初の進学希望だった下関市立大学から、通学時間家から15分の長崎総合科学大学に進路を変更しました。
不純な動機で本当に恥ずかしい話ですが、興味のある学科が偶然にもその大学にあり、生涯の付き合いができるほど人に恵まれたのが私の幸運でした。
大学生となり念願のバイク乗りへ
大学入学までに原付免許を取得し(なぜか高校のメンツとその場で再会し、私含めて何人か落ちました笑)、親に原付アメリカンであるマグナ50を買ってもらいました。
今になって思うとなんて無駄な買い物をさせたんだとも思いますが、あのバイクでないとここまでのめり込むことはなかったんじゃないかとも思います。
通学路にあるちょっとしたコーナーをリーンアウトで綺麗に曲がるだけでも最高に楽しかったです。
島原まで走り高3になった後輩たちの高校総体も見に行きました。
友達と街まで原付3台で出かけるのも楽しかったです。
事故やらマフラーでの火傷やらを初めて経験したのもこのマグナ50でした。
大学二年になり、バイトで貯めたお金で5月頃から大村の太陽教習所に通い始めました。
初めて乗った中型排気量バイクである教習車のCB400SF(現在はNC400に変わってきているらしいですね)はマグナとは比べ物にならないパワーで恐ろしささえ感じたのを覚えています。
教習所では7時から2コマ乗らせてもらい、夏に阿蘇を走りたいためとにかく早く取ろうと躍起でしたが、文化祭実行委員もさせてもらってた私は準備に追われ、取得できたのは夏休み明けの9月末でした。
道に間違えて2回、油断して急制動のブレーキを忘れ1回の計3回落ちてストレスで頭がはげるんじゃないかってのと、「本当に免許必要か?」との迷いに打ち勝ってのやっとの合格ラインぎりぎりの70点での合格でした。
あれはきつかった(笑)。
時間があれば大学4階のパソコン室で学科対策をして、講義中も試験場コースの地図を穴が開くほど見つめてイメトレ繰り返してやっとこさでした。
取得後アメリカンやクラシックバイクの熱は冷め、恐らくCBの影響でしょう、KAWASAKIのZRX400を探し回りました。
偶然家族で出かけていた時に最後にと念のため長崎のHONDA DREAMに父親と寄ったところ、二階の展示スペースに展示台の上に威風堂々とメッキを輝かせ佇んでいるSteed400VLXを見つけ、父親の「これはよかっちゃなかとや!?」の一言もあり、予算内で収まることもあり(平成4年式で26万)、こいつにまたがる自分を想像したらめちゃくちゃかっこよかったのでその場で即決。
後日現金揃えて持って行ったのもよく覚えてます。
バイト入れまくって、飯代も趣味も削って、誘ってもらったのに飲み会も断って必死で貯めた末だったので、ものすごい充実感でした。
対馬のグローバルサミットの最中に担当さんから「納車できるよ!」と連絡があり、翌日マグナを走らせ取りに行きました。
マグナはピッカピカにして労って下取りに出させていただきました。
約1年と半年、マグナキッドでした。
HONDA DREAMの広い駐車場にSteedが佇んでいました。
展示車でなく、ナンバーが付いており行動走行可、キーを回して火を入れれば走り出せる状態です。
恐る恐る手ほどきを受け、左ウィンカーを点灯し、目の前の道路に走り出しました。
衝撃でした。
エンジンから響き渡る鼓動、マフラーから鳴るサウンド、アクセルを捻ればいくらでも加速してくれそうなパワー。
「もしかしたら、俺が望めばどこまででも走り続けることができるんじゃないか?」
そのままの言葉があたまに響いた時、どこまでも続く地平線が確かに見えました。
バイク乗りの真理とでも言うべきでしょうか。とにかく気付いてしまったんです。
そこからは単純でした。
高校生から我慢を続けてきたのもあり、その真理を体現するかの如く狂ったようにツーリングに出かけるようになりました。
ただただ遠くまで走りたかった。
知らない土地に人に文化に出会い、知らない道を走りたかった。
たった一人でどこまでできるか知りたかった。
何度でも走りたかった。
ただそれだけです。
地図を読むことを覚え、キャンプすることを覚え、どんどん旅慣れしていく自分が頼もしく、怖いものなしでした。
結果、大学時代のツーリングの回数は数知れず、西日本のほとんどを走りました。
念願の大型二輪一発合格(93点)も達成できました。
高校の時の願望通り、バイクに満たされた4年間でした。
この時点で長すぎるので後編へ続きます
こんな自分語りを最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
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