8月13日(日)晴れ
6:58 野営地テント内
快眠。気温も適温でダウンジャケット無しで寝られている。
だからか、夢を見た。
お父と車の中で話していた。何を話していたかは詳しくは覚えていないが、今の俺の生き方とお父の生き方について2人でゆっくり話していたのだけは覚えている。
また、その様子から、お父は自分の死を知っているようだった。
いつもの現場からの帰り道の時間のようだった。
その夢のあと3時ごろ目覚め、スマホを確認すると「無事に初盆の法要終わったよ」と、お母からLINEが入っていた。そうだ、日本は盆休みだ。
不思議なもんだ。こんなタイミングで。家には提灯が下げられているが、それもなしにアラスカまで来たってのか。
南さんの時もそうだった。亡くなった数日後に夢に出てきて、病気だったことを告げずに勝手に逝ったことを「すまんなあ、西村」といつもの笑顔で謝りに来てくれた。
お父も笑っていた。
俺がお手本にしている男達はいつも笑っている。苦しい時は人知れず苦しみ、他人の前ではいつも笑っている。
どんな心境であれ、笑って終わらせてみろってか。
ここ数日、心の置き場所が少しわからなくなりつつあったが、ともかく、どんなもんだと笑って走り切ることにしよう。
あと23日、ご安全に。
22:06 COLD FOOT CAMP ロッジ談話室
野営地を出て、ビジターセンターで髭剃ってツラ整えてダルトンハイウェイへ。
入口はフェアバンクスから130kmほどの地点にあり、そこからは聞いていた通りダートが続いていった。
道がアスファルトからダートに変わり、多少アップダウンやコーナーが増えたこと以外は、これまで走ってきたアラスカハイウェイと変わり映えしないいつもの針葉樹の森が延々と続くだけの道だった。
そのため、あのダルトンに来たというのに特別気分が高揚するでもなく、「ああ、このままゴールに着いてしまうのだろうか」などと思っていた。
しかし、途端に景色が開け、左手には延々と北に伸びるパイプライン、右手には湖と草花が鮮やかに広がる広大な原野が姿を現した。あの、「旅をする木」を読んで想像し、星野さんの写真で見て心奪われたアラスカの原野そのものだった。
セローを停めて、路肩に立ち尽くした。
「永かった」と、自分でも意識しないまま言葉にして、気付いたら涙していた。そのアラスカの自然の美しさ、想像し憧れ続けたアラスカが、今、目の前にある事実に、泣いた。景色を見て涙するのは初めてのことだった。
俺は恐かった。アラスカに入っても、フェアバンクスの街を見ても、あのアラスカに居るという実感は湧かなかった。
「俺はこのまま何となくゴールして、何となく日本に帰ってしまうんじゃないか」。
ここ最近は、その不安でいっぱいだった。
だが、救われた。俺の長年の憧れはウソじゃなかった。アラスカにいることを全身で感じ、心から感動して涙することができた。
俺の情熱は嘘っぱちでも、冷めてもいなかった。
俺の情熱は本物だった。
「永かった」と、重ねて呟くたびに声が震えていった。楽しかったこと、苦しかったことが次々に思い出されていった。永かった。
憧れ続けてきたアラスカは、ここにあった。
俺は、救われた。
19時、Cold footの無料キャンプ場にチェクインし、晩飯食ってロッジに食糧移して、22:45、もうじき日没を迎えようとしている。
今日、俺が俺として完成するために必要だったことを経験できた。
今日は、素晴らしい一日だった。あの瞬間の気持ちを、俺は一生忘れない。
走行距離 425km ODO 28222
金 ガソリン 1500
初顔合わせのパイプライン。
なんか炉心みたい。
綺麗に皮が剥げているが、これは白樺の木?
この一帯は道路を挟んで枝葉の付いたのと付いてないのとで分かれていた。山火事の後だろうか。
起点。あのダルトンハイウェイだ。まだ現実味がなかった。
天気も良いため全力乾燥と飯。幸い蚊は少なかった。
ダルトンハイウェイの名の由来となった方。帰国したら、こういう歴史も旅の軌跡を追いながら学んでいこう。
延々と続く森。
どうやったら折れず曲がらずこんな真っ直ぐ細いのが育つのか。
終わらないダート。
工事区間の片側交互通行待ちでであった御犬様。大人しく座っているが、めちゃくちゃ元気な子でこうさせるまで大変だった。
セローのとこに戻ってからもチラチラ目が合う。可愛い。
行き交う車を飼い主さんと見送る。犬との生活、絶対叶えないとな。
パイプラインが道路に近づいてきた。
ユーコン川に掛かる一際大きな橋。ダルトンハイウェイを走るものなら必ずしも世話になるユーコンリバーキャンプは端からすぐのところにある。
広くて流れが見えない。何が釣れるのだろう。
パイプラインの下へ。場所によって高さが違うのは、工事車両の通行の有無によるものだろうか。
どんどん高くなるガソリン。先に受付にカード置いて、給油後写真撮って値段を伝える。
ロッジ内食堂。日本語は見当たらなかった。
パイプラインの施設だったものだろうか?人の気配はない。
この標識の先で、一つのピークを迎えた。
次第に表情を変えていく。
パイプラインの施設が時々現れる。
COLD FOOT CAMPにて。
日本人旅人の痕跡。
帰ったら腹はち切れるまでカレー食おう。
予想通り15分ほどまた日没が遅くなった。
ロッジ談話室。キャンプ場利用の人間も好きに使って良い?
ゴールドラッシュの時代を想う。ぱっと見カレーに見える。