11月21日(月)晴れ
7時15分 スターフライヤー羽田行き機内にて
離陸して10分。機体は安定飛行に入り、左肩の窓からは瀬戸内の海が見下ろされる。
ユカさん二人とあんじゅとゆなやんに見送られ、三年過ごした地を離れた。
朝起きてバタバタ出発して急いで受付済ませて手荷物検査もクリアして。
やっと落ち着いて一人座席に腰を下ろし、慣れ親しんだ街が離れていく様を見つめていると、この街での三年間が突如走馬灯のように蘇り、思い掛けない涙を流した。
俺が出発までに得た大切なものは、この街のこの人達に詰まっている。
俺はいつも言っていた。
「もし俺の旅を映画化するなら、きっと出発する背中にカメラがクローズアップする。そして光に包まれ、エンドロールに入るだろう」と。
そのくらい、俺にとっての全てだった。
この人たちとの時間があったから、どんなにクソッタレな状況になろうと笑って前を向いていられた。
毎週日曜に修行と称してセローのメンテナンスを師匠から習い、その後は休戦日のスギさんや、偶に現れるデニスさんや子供たちとだべってコーヒー飲んで勉強も教えたりして。
土曜は林道行ってバカやったあとは、子供たちも交えて師匠んちでBBQやってスマブラやって。
月曜夜はケビン先生の英会話教室に仕事後急いで向かって先生の面白い話を聞いて、授業後も玄関で師匠と三人立ち話が盛り上がったりして。
夏はキャンプ行って山登って川でも泳いだ。
黄金の日々だった。
俺はその気持ちをここぞという時に限って伝えられない。
今日だってゆなやん達に見送られる時、伝えたい言葉を伝えられなかった。
師匠も無理を押して空港の入り口まで遠目からでも見送りに来てくれたのに、こう言おうと考えていた言葉を変にカッコつけて伝えられなかった。
皆さん、こんなバカ野郎ですみません。
自分はいざって時に不器用な男です。
そのくせ、今もボロボロと涙と鼻水流してマスク濡らしてマヌケ顔で日記を書いています。
こんな男に三年間良くしてくださって、その後も変わらず家族のように受け入れて下さってありがとうございました。
全てを終えた時、真っ先に振り返るのは行橋の皆さんとの時間です。
自分にとって、皆さんとの日常は掛け替えの無い、掛け替えの無い日々でした。
また長くなるのでこの辺で。
結果で返して見せます。
では、行ってきます。
2022年11月21日 7時41分
西村雄志郎